48歳、自分の価値について考える
私は価値のない人間ですーーーーーーあなたにとってはね。
フリーランス1本になってから、自分の価値について考える機会が増えた。これが学生時代なら、思春期特有の自分探しで終わる。転職に悩む若い時期であれば、厨二病みたいになってしまう。けれど、アラフォーをすぎると、自分を客観的に評価し、ハッピーに生きるための軸になる。
派遣社員時代に、何度か正社員にならないかと声をかけられた。
「Ayucoさん、リーダー候補としてうちの社員にならない? 大学どこだっけ?」
大学は出ていないと答えると、話はなかったことになった。正社員になるとも言っていないのに、断られた。それも1回や2回ではない。大手企業にとって、経験<学歴なのだ。
正社員で働いていても同じようなことは続いた。中途で入った同じポジションの中でも、大手企業で働いていた人と自分では給料レンジが異なっていた。
私が高校を卒業した1996年、女子の四年制大学への進学率は24.6%だった(文部科学省 学校基本調査)。短大を含めても、半分に届かなかった。
では、フリーランスはどうかというと、似たようなことはある。大手コンサルティングファームから独立したフリーランスと、そうでないフリーランス。受注金額が違うどころか、検討の土俵にも上がれない。
あまりいうと愚痴っぽくなってしまうので、結論からいうと、値段を決めているのは私ではなく相手だ。
同じものを提供していても、相手が違えば価値は変わる。それを乗り越えるために努力をするのは時間の無駄だと、わかったのは大人になってからだった。
自分の価値をお金でしか感じられないのであれば、その考えはあらためたほうがいい。価値は相手と場所によって変わるから。
そこで、絶対に揺らがない自分の基準を決めることにした。食べることに困らない。車と家を維持する。愛猫におもちゃと美味しいご飯を与えられる。それだけを見て、働く条件にこだわった。その結果、お金までついてきた。
「今の状況、一番幸せかも」と気づいたら、全ての基準はそこに合ってくる。いくら報酬が高くても、猫と離れる時間が多いから却下。同じスキルを提供するなら、予算の都合で値切ってくる大手より、社長権限で満額払ってくれるベンチャー。みたいなね。
自分の基準がなく揺れているうちは、提示された条件にいちいち反応して、落ち込んだり怒ったりすることもあった。しかし、私を待っている人がいる。それが、私の価値を教えてくれた。目の前の人にとって無価値でも、他で認めてくれる人がいるから大丈夫だ。

